MIYAMA’s STORY
- 長治庵 -

松本長治&真奈美さんご夫妻

Interviewee: 松本長治&真奈美さんご夫妻

山のある生活や、山の魅力を多くの方に知ってもらいたいという想いから生まれた「みやまのものがたり」。
事業者紹介第2弾は、長浜市木之本町杉野で「長治庵」という山の恵みと密接した宿を営んでいる松本ご夫妻のお話を伺いつつ、みやまの物語のテーマでもある「山のある生活」について掘り下げていきたいと思います。

木之本町杉野で記録が残っているだけでも270年間続いている宿「長治庵」。
江戸時代の杉野は日本のエネルギー源である木炭の一大生産地で、多くの人が木炭生産を生業とし、近隣の村々からも多くの住民が移り住む場所。

その後、明治40年ごろから隣の木之本町金居原で「土倉鉱山」の採掘が始まり、県境の小さな村は賑わいを見せ始めます。
「土倉鉱山」に関しての記録は多くのサイトに掲載されているので是非そちらを参考にしていただきたいのですが、主に銅、硫化鉄、を算出し、少量の金・銀、鉛も採掘されていたという滋賀県唯一の名鉱山でした。


明治40年から始まった土倉鉱山は、当時の「日本窒素工業」が権利を買い取り昭和40年まで続き、
村にはピークは1000人を超える坑夫、家族やもろもろを合わせると2000人もの人が住み、映画館や飲食店、銭湯は県が立ち並ぶという盛況ぶり。
ちなみに当時の映画は鉱山のある街から新作は封切りされていたため、近隣の街からも映画を見るために多くの人が遊びに来ました。

昭和40年に「土倉鉱山」が閉山した後も、日本は高度成長期に突入。
公共事業が増え、多く工事関係者が宿を利用していたと言います。

山の恵みがあるこの地の魅力に気づいた。

「当時は観光というものはなかった。唯一「観光旅行」と呼べるものは新婚旅行くらい。
一般の若い人が普通に観光旅行に行くようになったのは昭和60年初頭ぐらいだったと思う。」

と話してくれたのは長治庵店主、松本長治さん。


笑顔が素敵な、長身のイケメンである。

「この場所は観光地が全くない山間地。
そんな場所で宿を続けて行くために、昔はあれやこれやと料理の幅を広げたり、仕出し業をしたりと、村の中での必要とされるなんでも屋だったが全部やめた。
この場所にはいい土と、いい水と、山の恵みがある。いい土からはいい米が取れ、山は多くの山菜を運んでくれる。
その魅力に自分たちが気がついた。」

長治さんは夫婦で経営していた宿を、全ておかみさんに任せ、近隣の田んぼで無肥料・無農薬でのお米作りを始めます。
場所によっては「無機械」で、全ての作業を手作業で行い、もともと宿を切り盛りされていたご両親には山菜採りを依頼。

地元の山で生まれ育ったご両親だからこそ、知りうる知識をフルに使い、季節の山菜は宿に運ばれます。

魅力を知ってもらうために、インターネットで情報発信!

みやまのものがたりで一番伝えたい山の恵みを「食」として提供し続ける長治庵。
しかし、この宿が多くのお客さんを引き付けるのは、インターネットを利用した情報発信の影響も非常に大きい。
それを一手に担うのが女将さんの真奈美さん。

「10年くらいは二人で切り盛りしていたのですが、(長治さんが)町会議員に出るようになった。
その頃の宿の状況は土日こそ満室になるものの、平日はぼちぼちという稼働率。
観光地も何もないこの場所ではこの宿の魅力を知ってもらうしかない!と思って地域のブログを始めたのがきっかけでした。」


自分のことを「おかめちゃん」と名乗り2011年から始めたブログ「滋賀かやぶきの宿~長治庵(ちょうじあん)の女将(おかめ)日記♪」は、ブログランキング「女将部門」で全国1位を獲得

その後FBを中心にSNSを始め、フォロワー数2016人、1投稿で多いと300近いいいねを獲得する存在となります。

この宿に「のんびり」を求めてやって来てくれているのがすごく嬉しい。

「始めはネットなんかに記事を書いたら詐欺にあるんじゃないかと思ってました(笑)
でも、ネットで知り合った女将さんたちと会を作って情報交換をしたり、勉強になることもたくさんありました。
私、盆正月は休むもんだと思っていたんです!
ところがお友達の女将さんたちはお盆や、お正月のことを繁忙期だと言って張り切ってお仕事されていて・・・。
それでこのお仕事は、お盆やお正月は忙しい時期なんだって知りました。3年くらい前です。」

なんともナチュラルでキュートな女将さん。
その純粋で、美しいキャラクターはこの宿を支える大きな魅力になっています。

「今では東京・大阪はもちろん、広島や九州からも、この宿に「のんびり」を求めてやって来てくれているのがすごく嬉しい。
最近では若い人も仕事に疲れていて、色々と遊び回るのではなく、山の宿でのんびりして、素朴な料理とお米に癒されて帰って行かれる方も多い。
観光地もなにもないので、朝、窓を開けると猿がいるような宿泊自体がアドベンチャーなんだと思います(笑)

ただせっかく頑張って料理を作っても、「お米が一番美味しかったです!」と言われると・・・
嬉しいやらなんやら、ちょっと複雑な気持ちになります(笑)」

知人からの一言をきっかけに、独自商品を開発。

お米を作り、ブログを書き、料理を作りと、力を合わせて宿を経営しているお二人。
しかし、ここ数年お二人には気になっていることがあるといいます。

「季節に異変がおきていると思います。
昔は「季節のリズム」があったがここ5、6年で強烈に変わっている。
GWにTシャツと半ズボンという服装が当たり前になるような異常な暑さ。
春が一瞬しかなく、両親の高齢化もあるが、山菜の収穫時期も短くどんどん採取量が減っている。
なので、短い収穫時期に取れた山菜を塩漬けしたり、アクを抜いて冷凍したり、寝ずに作業することもよくあります。」

やはり、一見のどかなこの山にも異常気象の影響は確実に現れているようです。
そんな中、山の現状を知ってもらいたい、少しでも山に興味を持ってもらいたいという想いは募っていきます。

もう一つ気がかりなのは山に関係する人たちの高齢化。
このままいけば後数年で山菜を採りに行ってくれる人や、山の恵みを集めて来てくれる人がいなくなってしまうと危惧していました。

「そんな時、10年来の知人谷口さんから「よもぎを栽培してくれないか」というお話をいただきました。
採取したよもぎは買い取ってくれるとのことだったので、すぐに地域の元気なお年寄りたちに声をかけたところ、
始めは半信半疑だったものの、お小遣い稼ぎにと協力してくれる人が現れ始めた。
その姿を見て「これだ!」と思ったわけです。
もっともっと山の恵みを利用した特産品が生まれれば、多くの人の仕事を生むことができる
なので私たちも独自商品を開発し販売を始めました。」

谷口さんというのは、こちらのインタビューでお話をさせていただいた「みやまの物語」のメンバー。
よもぎの話はそちらで詳しく書いてあるのでご一読いただくとして、これをきっかけにオリジナル商品「おかめの炊いたんシリーズ」が誕生していきます。

1

2